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天才と呼ばれた男・高畑勲さんってどんな人?

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2018年4月6日、日本アニメーション界の巨匠・高畑勲さんがお亡くなりになりました。82歳でした。

 

名前はよく聞くけど、どんな作品を作った人なのか?どんな方だったのか?まとめてみました。

 

高畑勲の経歴

1935年(昭和10年)、三重県の伊勢市で生まれました。その後、岡山県に引っ越し、岡山県立岡山朝日高校を卒業。そして、東京大学文学部を卒業しています。秀才だったんですね。

その後、東映動画に就職。東映動画とは、今の「東映アニメーション株式会社」のことで、よくプリキュアなどの東映アニメーション祭りをやっていますよね。

テレビアニメ・狼少年ケン(NETテレビ・現テレビ朝日)で演出デビュー。

その仕事ぶりが認められ、長編アニメ映画・太陽の王子ホルスの大冒険で監督に抜擢されます。

この東映動画時代、運命的な出会いがありました。盟友・宮崎駿との出会いです。ホルスの時、高畑勲監督、宮崎駿アニメーターという関係だったそうですが、出会いは実は東映動画の労働組合事務所だったとか。そこでかなり長い間話をしたそうです。

その後、宮崎駿もメキメキを実力をつけて行って、本当の意味での盟友となっていきます。

宮崎駿と共にAプロダクション(現シンエイ動画株式会社)に移籍し、ルパン三世シリーズ、パンダコパンダなどを手掛けていきます。

さらに日本アニメーション株式会社に移籍した2人は、アルプスの少女ハイジ、母を訪ねて三千里などを作っていきました。当時まだまだアニメは子供のものという時代、海外ロケハンを重ね、徹底的にリサーチした資料を基にリアルな生活芝居を描く世界観を構築したのは、まぎれもなく高畑勲の功績です。これで日本アニメは変わったと言っても過言ではありません。

その後、宮崎駿が「風の谷のナウシカ」を制作する際にプロデューサーとして参加。そして天空の城ラピュタを制作するスタジオを探している時、「いっそスタジオ作りませんか?」と提案したことで、スタジオジブリが誕生します。

その後、「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「かぐや姫の物語」など誰もが知る名作を手掛けていきました。

 

高畑勲の人物像

宮崎駿からは「パクさん」の愛称で親しまれています。これは、東映動画時代、よく遅刻していて、アンパンをパクパク食べていたことからつけられたニックネームなんだとか。

リアルで緻密な絵を得意としていますが、作業の遅さはピカイチ。監督時代、あまりの遅さにプロデューサーが責任を取って次々と交代したというエピソードもあります。私が原稿を遅らせたら私が吹っ飛んでしまいますが、このくらいまで行ったら、デスクの方が飛ぶんですかね(笑)。一生ないですね。。。

音楽が趣味で、ピアノも弾けます。かぐや姫の物語では、挿入歌を作曲したことでも知られていますね。

2015(平成27)年にはフランス芸術文化勲章のオフィシエを受章しました。

 

本当に偉大な、日本を代表する監督で、今回の訃報に、海外からは、「高畑監督は宮崎駿監督と並ぶ巨匠。彼の作品は人間の陰と陽の部分を巧みに表現し、人びとの心に深い印象を刻み込んでいる」「高畑勲監督なくして今のジブリはなかった。もうあの夢のように美しい作品を見られないと思うと…」「こんな衝撃は、(3月14日に亡くなった英宇宙物理学者の)スティーブン・ホーキング博士の訃報以来だ。高畑勲監督も旅立ってしまった。とても悲しい」と突然の訃報に悲しむ声が見られました。「どうぞ安らかに」といった哀悼の意を示すコメントも出ています。







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